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検察庁訪問記(4)
投稿者:
根石吉久
投稿日:2003年 7月28日(月)02時00分53秒
認めないのなら認めないでいいのだ、その場合は、弁護士を雇って、裁判を起こすということになると言うから、そんなことをやっている時間はないと答える。俺が、手続きのことを何も知らないのがわかったらしく、略式裁判と裁判の違いを説明してくれる。もちろん裁判なんかやる気はない。略式にしますと言うと、何かの書類に名前を書き、なんとかという文句を強調して読み上げてから、ここに名前を書きハンコを押せというからその通りにした。略式にするということで、裁判所の言う罰金の金額を呑むことになるのだなと思う。スピード違反の罰金の最高額は10万円だが、これまでの例では、あなたのケースは10万円になるだろうと検察官は言った。10万か、と思う。40キロまでは「違反金」だが、それを超えると「罰金」になると言う。どこがどう違うのかわからない。「罰金」は犯罪を犯した人が払うのだと言うから、「何が犯罪ですか」と俺の声が怒りを孕んだ。税金で(つまり俺達の金で)「高速」道路を作っておいて、てめえらで勝手に制限速度を作っておいて、事故が起こっても一切何の負担も生じない場所からの「犯罪」呼ばわりはないものだ。「犯罪」呼ばわりをするのなら、俺が事故を起こしてからにしろ。高速道路では、みんな普通に100キロから120キロで走っている。130や140キロで走っている車も非常に多数いる。俺は、当日エイミーというイギリスから来た女の子に岐阜の白川郷の合掌造りを見せてやりたくて高速道路を使ったが、左の山を見ると雨が降りそうだから、急いでいたことは確かだ。しかし、普通に走っている車より、20キロか30キロ余計に出したというだけのことだ。
120や130程度は誰でもみんな出しているじゃないですか、と俺が言うと、みんなが悪いことをしているからと言って、あなたが同じことをしていいというわけではないというようなことを言いかけたので、「なにが『悪いこと』なのか!」と怒鳴る寸前の声が出た。俺は、高速道路を162キロで走ったことをまるで「犯罪」だなどと思わないし、「悪いこと」をしたつもりなんかまるでないと明言する。
裁判なんかやっている時間は俺にはないし、略式で行く。しかし、俺をつかまえて、俺の行為を犯罪呼ばわりすることには気持ちが納得しない。
突然、スピード違反には懲役もあるんだと検察官は言い出す。知っていますかと言うから、知らないと答える。興味があったので、「懲役はどのくらいですか」と聞くが、教えてくれない。
とにかく、法律があるんだからというようなことを言うので、その法律がまるで実状に合わないのだと答える。まともに相手にしないような顔になり、だったら、運動を起こして、あなたが国の決めたことを変えるしかないだろうと言う。
高速道路を高速で走ることのどこが「悪いこと」なのかいつまでたってもわからないままなので、そのことを言うと、「根石さんと話していても駄目だ」と言う。俺も、この人と話していても駄目だということは途中からわかっていた。双方で黙る。
「とにかく気をつけてくださいね」と検察官の人は言った。
気をつけるということは、警察につかまらないようにしろという意味なのか、事故を起こさないように気をつけろということなのかわからないが、もう議論をする気はなくなっていた。
気をつけて車を運転する気はある。つかまらないように気をつけることよりも、事故を起こさないように運転するようにこれまでだって「気をつけて」きた。警察につかまらないようにする努力は余計な努力だ(その分だけ、運転していて注意が散漫になるに決まっているのだ)が、事故を起こさないようにする努力は必要な努力だと思ってこれまで運転してきた。30歳過ぎた頃に免許をとってから、駐車場で止めた車のドアを風にあおられて、隣の車に10円玉くらいの大きさの傷を作って、示談にしてお金を払ったことはあるが、毎日車を運転していて、20年間事故らしい事故などやったことはない。これからも「気をつけて」いく。当然だ。162キロ出していたときだって、まずは何よりも事故にならないように「気をつけて」いたのだ。事故を起こさないように注意し、警察につかまらないようにする注意はしなかったから、警察が設置したこすいカメラに撮影されたのである。大柄の女が3人も乗っていて、車は道路に貼り付いたように安定していたし、道はがらがらに空いていたから、そのスピードになっただけだ。俺は安全運転をしていたのである。80キロを超えていたとか、100キロを超えていたとかの基準で安全運転であるかそうでないかを杓子定規で決められてたまるか。
検察庁訪問記(3)
投稿者:
根石吉久
投稿日:2003年 7月28日(月)01時59分15秒
どうにも納得できないが、安全センターが俺を呼び出す呼び出し状を確かに送付してあると言っているというのだから、行政処分を受けられないまま帰宅するしかない。俺の寝不足もふらふらもふわふわもすべて無駄だったのだという思いが胸にあるので、帰宅する前に警察の担当の人にたずねてみることにした。俺が今日出向いてきたことは、ここで無駄になったが、明日は検察庁に行くことになっている。今日警察へ来ることが無駄になったことが、明日検察庁に行くことを無駄にすることはないのか。安全センターの聴聞云々で警察へ出向くことが無駄になったと同じように、今日警察へ出向いて無駄になったことが検察庁へ出向くことを無駄にすることはないのかどうかについてである。担当の人は、それぞれ、別のことの処理の流れだから、そんなことはないと思うと言う。なんなら、検察庁へ電話して確かめてみればいいと言う。
ふらふらふわふわと帰宅。検察庁に電話する。今日、警察へ出向いて無駄足になったことが、明日検察庁へ出向くことを無駄足にしないかどうかを「無駄足」という語を使って聞く。警察の事務能力に欠陥があることはわかったので、警察の人が言うことを疑っていたが、検察庁の担当の人は、無駄足にはならないと言う。この点は警察の人の言うことは違っていなかった。
女房に安全センターからの呼び出し状が来ていたことを知らないかと聞くが、知らないと言う。最近、通信販売の案内などが大量に来ていたので、郵便物をまとめて捨てたが、もしかしたらその中に混じっていたことは考えられると言う。気楽なやつだ。一日に二冊も三冊も通信販売の案内が来ることがあるが、その間に通知がはさまっていたら、女房が案内を開封することもなく古紙の山に積んでしまうことはありうることだ。幻の呼び出し状よ、いまいずこ。
警察署へ行ったことは無駄足になったと女房に言うと、女房は「そうなの」と言った。それで終わりである。少しは怒れよ、お前、と思うが、寝不足でふらふらと自転車に乗り、緊張して疲れたので、文句を言う気になれない。
ほぼふてくされたような状態で、無言のまま二階に登り寝ようと努力するが、暑くて眠れたものではない。それでも、いつの間にか寝付いて、いつも通り午後2時頃には起きた。
畑に行く。畑はいい。安全センターも警察も検察庁もみんな忘れさせてくれる。鎌ひとつ握り、あちこちの草を刈る。ろくでもない草を刈る。草ぼうぼうの草を刈る。
翌日が今日である。
一カ所、借金を払いに行って、女房に車を運転させて検察庁へ行く。行政処分がまだなされていないので、運転免許はある。しかし、この先、運転免許が停止されることは確実なので、免許がない状態を練習するために、近頃はずっと車は女房か婿に運転させており、自分ではめったに運転しない。
上田に早く着いてしまった。約束の時間より30分以上も早い。
少し待たされて、検察官というのか、検察の人が来た。女房も一緒に立ち上がるが、「お前は来なくていい」と俺が言う。検察の人も「一人で来てください」と言う。
取り調べ室というのかどうか、とてもきれいな部屋に通される。窓から明かりがよく入ってきて、とても明るい。本籍、現住所、名前など確認される。すべてその通りなので、そうですと言う。そして、何かの書類を出して、「認めますか」と言う。なんのことなのかわからない。しかし、その書類にはどこかで見覚えがあると思ってすぐに思い出した。それは、富山県警の代わりに更埴警察署の交通課の人がとった調書なのである。しかし、それが何の書類であるかの説明もなく、いきなり「認めますか」と言われて、わけのわからないことをだしぬけに言うと思ったので、「知らない」と言った。何を知らないのかと言うので、俺が監視カメラに撮影された時、スピードが162キロ出ていたかどうかを俺は知らないと言う。「認めないということですか」と検察庁の人は言う。「認めるとか認めない」という以前に、「知らない」のだと言う。検察庁の人は、調書を書くためのワープロ画面をしばらくみつめて黙っていた。「それは、スピードメーターを見ていなかったということですか」と画面を見ながら言うから、「そうです」と言う。
検察庁訪問記(2)
投稿者:
根石吉久
投稿日:2003年 7月28日(月)01時56分34秒
どうしたらいいのか、本当に俺は悩んだのである。いやさ、同日同時刻に二カ所にいなければならない問題に関してだ。警察からの呼び出し状と検察庁からの呼び出し状の両方をにらんだら、更埴警察署の呼び出し状には電話番号が書いてなく、検察庁の呼び出し状には電話番号があった。警察はいつもずぼらである。脳味噌が足らない。
電話番号がある方へ電話して、相談してみようと思った。
上田の検察庁のTさんに、「同じ日の同じ時刻に両方に行くことができない」と言ったら、Tさんは、「じゃあ、先に安全センターに行ってください」と言った。俺は、更埴警察署に呼び出されているのであって、安全センターに呼び出されているのではないから、変な気がしたが、検察庁へ行くのは後回しでいいと言っていることははっきりわかったので、検察庁には、9日の翌日10日に行くことにした。というか、10日はどうかとTさんが言うので、10日でいいが、午前9時半は眠くてだめなので、午後にしてくれと言うと、Tさんが4時半ではどうかと言ったので、それでいいと承諾したのだった。
それで、翌日、更埴警察署に行った。眠くてたまらない。いつも朝まで仕事その他をしていて、朝になったら寝るのだが、警察に行く用があるので、朝になっても寝ることができない。車で来ると無免許運転になると呼び出し状に書いてあったので、自転車で行った。9時前だが、すでに日は高い。強い日差しが照りつけて、なにもかもがまぶしい。寝不足のせいでふらふらする。世界の軸がふらつくような、道路も建物も蜃気楼であるような、自分が俺ではないような、俺も私ではないようなこころもちであり、ふわふわし、ふらふらし、自転車ごとゆらゆらと進む。こんな危険ことを警察から呼び出されたせいで俺はしなくてはならない。実に危ない。ときどきよぼよぼの婆さんが歩いていることもある道なので、細心の注意を払ってふらふらし、ふわふわした。こんなにふらふらふわふわと自転車をこいだことはない。
警察署に着き、担当の人に呼び出し状を出したら、安全センターの聴聞を受けていないから、行政処分ができないと言われる。聴聞するから出かけてこいというような安全センターの呼び出し状は俺は知らない。だから、俺が安全センターの聴聞を受けていないということは確かである。呼び出し状があればでかけていっただろうが、呼び出し状自体を見ていないのだから、でかけることはできなかった。しかし、安全センターは確かに送付したと言っていると担当の人は言う。まあいい。確かに送付したとして、それを俺が見ていなくて、その結果、安全センターが俺からの聴聞をしていないことは事実なのだ。聴聞がなかったら行政処分ができないというのであれば、俺を呼び出す前に、俺が安全センターから聴聞を受けたかどうか、警察はなぜ安全センターに確認しないのか。なぜ人に無駄足を運ばせて平気なのか。
対検察庁にせよ、対安全センターにせよ、警察は基本的な事務能力すら持っていないのではないか。そもそも、警察が事を起こしたのである。お前は、「高速」道路で法定速度を62キロオーバーしたからとがめるというように事を起こしたのは警察である。それでいて、その回りで関係する諸官庁だか、諸事務屋だかときちんと連絡をとらず、平気で人に無駄足を運ばせる。自転車をふらふらふわふわこぎながら、こんなことやっていたら確実に寿命は縮まるなと思って、自宅から警察署までやっとたどりついた俺の労力をすべて無駄にしたのである。
検察庁訪問記
投稿者:
根石吉久
投稿日:2003年 7月28日(月)01時55分14秒
更埴警察署から7月9日の午前9時半へ更埴警察署へ来るようにという呼び出しの通知が来た。また、検察庁の上田支部だかなんだかそんなような名前のところから、7月9日の午前9時半に、「お聞きしたいことがあるのでおいで下さい」というお手紙をいただいた。俺は、女にゃモテないが、今回は警察と検察庁の両方からモテちゃって、実をいうとなんだか困るような気がした。
まったく同日の同じ時刻に、俺は更埴警察署と上田の検察庁の両方にいることはできない。しかし、どちらにも行きたい。是非両方に出席したい。なんとかならないものか。
そもそもは、高速道路の上で、俺がスピード違反をしたという通知が富山県警から来て、富山県警の代わりに、更埴警察署の交通課の者が俺を取り調べたというあたりが発端であった。警察が事を起こしたから、その後のめんどうなことの処理が生じたのである。自分で事を起こしたのなら、警察は、警察署と検察庁の両方に俺が同日同時刻にいなければ「ならないようにならないように」気配りをするべきなのではないかと思うが、何の気配りもしない。気配りもせず、態度もでかい。
どうすればいいのかまったくわからず、悩むことになった。
同日同時刻に別々の場所に行かなければならないのであれば、俺は身動きができない。あっちにも行きたいし、こっちにも行きたい。どちらをおろそかにする気も、どちらを先立てる気もない。あっちに行こうとすれば、どうしてもこっちにも行きたいという気持ちになるし、こっちに行こうかと思えば、どうしてもあっちが気になるというわけで、けっきょく、そのように心が分裂している状態では、俺はどちらにも行くことも決めることができずに、その場に立ちすくむか、しゃがみ込むしかないのである。
立ちすくむのでもしゃがみ込むのでも、それをやっていたら、俺は何もできなくなる。どちらにも行きたいのに、どちらにも行かれないのである。それはそれでやむをえないとして、他の用事、例えばローソンでジュースを買って飲むとか、自転車でそこいらを乗り回すとか、畑の草を始末するとか、便所でうんこを出している最中にあくびをしてくつろぐとか、そういう俺にとってはるかにずっと大事な用事もできなくなる。立ちすくんでいたり、しゃがみ込んでいたりしたのでは、何もできはしないのである。
立ちすくんだり、しゃがみこんだりしてしまうのは、警察と検察庁に同日同時刻にいなければならないという理不尽のせいであるから、警察と検察庁を両方とも無視すれば、なんとか、立ちすくんだ後歩き始めるとか、しゃがみこんだ後立ち上がるとか、立ち上がって後、俺が俺にとって大事な用事をすることもできるだろう。そうすると、警察や検察庁は、なんらかのいちゃもんをつけてくるに違いないとも思った。ああいうところはそういうところであるということは、今回のスピード違反を通知してきたことでもよくわかるのである。
高速道路を高速で走ったからいけないというのである。アホじゃあるまいか。高速で走っていけない道路なら、中速道路程度の名前にしておくがいいのだ。この国は先進国のつもりで、高速道路なんていう言葉を使っているのか。高速で走っていけない道路なら、発展途上道路とか後進道路とか、もっと気の利いた名前にするがいい。お薦めは、中速道路だ。
中速道路を高速で走ったから違反ですよというのなら、わからなくもない。高速道路を高速で走ったから、違反だとか罰金だとか犯罪だとか、いったい何を言っているのか。私は別に車で空を飛んだわけではない。単に高速道路を高速で走っただけだ。
万が一、高速で走って俺が事故を起こしたとして、国やら県やらが補償金の一円も出してくれるわけではない。もし、国やら県が俺が起こした事故による補償金を出すのなら、国や県が、スピードを出すのはやめてくれ、スピードを出されるとわしらが迷惑するのだ、やめないなら罰金をとるぞと言い出したとしても理がある。そうじゃないのだ。何かあっても、何の責任もない場所にいる(もちろんそんな責任をとってもらう必要はない)くせに、勝手に制限速度とかいうものを決めて、それに違反したから違反金だとか、40キロオーバー以上は犯罪だとか行政処分だとか馬鹿な言いぐさを繰り出してくるのである。
いちゃもんをつけているのだとしか考えようがない。
松本さん、その後
投稿者:
根石吉久
投稿日:2003年 7月28日(月)01時52分33秒
大家からの請求額が、100万から200万になったそうである。
こんなものは馬鹿なのだから、適当に遊ぶ相手にしかならない。
一度、形式だけでいいから「夜逃げ」してしまえばいいと俺は思う。
住所不定にしてしまえばいいのだ。
こういう悪辣な不動産知識人にはそれでいい。
あくまでも軽蔑しつづけるべきであることなど、松本さんは承知しているが、実際に住所不定に
するためのネットを作るのがいい。
みんなでしらばくれればいいのだ。
そして、Nさんを除けば、しらばくれるのはいくらでもやれる人たちばかりじゃないか。
俺も荷担するぜ。
「大風呂敷」移転
投稿者:
根石吉久
投稿日:2003年 7月 7日(月)00時08分42秒
昔、ここにあった大風呂敷は、http://sky.iruka.ne.jp/cgi-bin/a4/iruka.cgi?shigeruに
一度引っ越しましたが、何者かによって削除されましたので、
http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
に再度引っ越しました。
バカボン大家の策略
投稿者:
根石吉久
投稿日:2003年 4月13日(日)04時35分30秒
この庭は家の南にあり、家の縁側から全体が見える。縁側から数メートルのところに池があり、縁側と池の間は芝生である。池の縁は、自然石をコンクリートで固めたものであり、池の底はコンクリートである。どこかでコンクリートがひび割れているものらしく、池の水は深さ10センチ程度しかない。この池の向こうに庭木がある。この庭木部分が、松本さんがこの家を最初に借りたときどんなふうだったかを松本さんに聞いた。
鬱蒼としていたそうだ。木の枝は乱れ、間に蔓草が這い上がり、地面は非常に暗かったという。木の幹が鬱蒼としていても、横から差す陽光があれば、地面近くに多少の光はあるだろうが、この庭の庭木の向こうはブロックの塀になっており、庭の植木部分の地面に光りはまったく差すことはなかったという。つまり、まったく放置され、野放しになったニホンテーエンだったのである。大家はこの鬱蒼とした状態をちゃんとわきまえていたはずだ。というのは、松本さんは大家から庭木の奥の方に雀蜂の巣があるから、冬になるまで庭木の奥には足を踏み入れないようにと言われたのである。大家がこの乱れ放題の庭を乱れ放題だと認識していなかったはずはない。乱れ放題の庭だからこそ、雀蜂の巣は縁側の方から見てもまったく見えなかったのである。
松本さんの記憶に頼ると、平成9年7月31日に入居したという。
11月頃、松本さんが庭木の間に足を踏み入れて、奥のほうを見たら、雀蜂の巣は土の上に落ちていたという。秋の台風で落ちたのだろうと松本さんは思ったそうだ。
この庭木のある庭を縁側から見て、左側に杏などの植わった土地がある。松本さんは、雀蜂のせいで庭木の手入れはできないから、入居後、この杏のある土地の方を手入れした。大家が刈っただけで済ませた草を根から堀りあげ、草取りをした。一ヶ月くらい、朝から晩までやっていたという。それが、夏の8月だという。さぞかし汗が出たことだろう。
草と格闘しつづけて11月、雀蜂の巣が地面に落ちていることを確認してから、松本さんは庭木に手を入れ始めたそうだ。松本さんは、庭木の手入れに関してはまったくのしろうとなので、まず本屋に行って、植木の手入れの仕方の本を2冊買ったそうだ。松本さんは本によって、松本さんなりの理解を得て、少しずつ庭木に手を加えた。
蔓草を払い、女だてらに木に登り、枯れた枝を落とした。
その様子を見ていた近所の人たちは、あきれ、感心したそうである。近所の人たちは、口々に木の枝が茂り過ぎていると言ったそうだ。
この家は、昔、医者をやっていた家であるそうで、その頃を覚えている人たちは、お医者さんがいた頃は、いつも庭は手入れされていたんだがなあ、と言ったそうだ。その庭を覚えている近所の人たちであるから、松本さんが手を入れ始めた庭について、「それにしてもひどいもんだ」と言ったそうである。
とにかく木の枝が隣の木の枝とからみ合い、重なりあっているのである。地面に近いところは、枯れ枝だらけであり、低く腰をかがめてやっと庭の奥に入っていけるくらいに藪藪なのである。奥の方には、へとへとに疲れたような椿や芍薬があったそうだが、それは縁側の方から一切みえなかったそうだ。松本さんが庭を手入れして、冬になって、ようやくそれらがあるとわかったのだそうである。
陽が足りない庭なので、檜葉などの木は、ひょろひょろと上に上に伸びようとして、松本さんが上の方の枯れ枝を落とそうとして、脚立の最上部に乗って背を伸ばしても、とうてい届かない高さになっていたという。だから、手が届かないところの手入れは、ひとまずあきらめたそうだ。しかし、手が届く限りのところは全部、松本さんは葉の上に積み重なっている枯れ葉を落とし、枯れ枝を落とした。荒れ放題なので、とてつもない量の枯れ枝を落としたという。枝が重なりあい、からみあって陽がささないために枯れた枝だろうという。
昨年4月には、木の梢が電線に触っているのを目撃し、危ないからと判断して、松本さんは、毎度のことながら、女だてらに鋸を体にゆわえて木に登り、電線に触っている枝を切り落としたという。近所の人が、危ないから気をつけろと下から声をかけたそうだ。近所の人は、「よくやるねえ」と感嘆する声をあげた。この「よくやるねえ」は、女だてらによくそんなぐらぐらする木に登るねえ、という意味も、他人の庭なのによく手入れするねえという意味も重なっていたのだろう。
(続く)
途中
投稿者:
根石吉久
投稿日:2003年 4月 7日(月)03時21分6秒
このごうつくばりの大家(以下ごうつく大家)は、何をたくらんだか。
そこまで庭を荒らしておいて、5万からのべらぼうな家賃をとって、このごうつく大家は、松本さんに庭を手入れさせようと考えたのである。
高値の家賃を毎月ふんだくりながら、松本さんに日本庭園(のつもり)の庭を丁寧に手入れするように言ったのだ。その条件を契約書にも書いたのだ。どこからどこまでも抜け目のない契約書の一部を引用する。
第6条(使用上の注意義務)
3.乙(松本)は建物及び庭について愛着をもって使用し、特に夏期には庭木の散水等、日常の管理を誠実に行うこと。
これである。松本さんは、あの庭に愛着をもって使用していた。庭はどんどんよくなった。ということを人にわかってもらうためには、最初、この庭がどんなひどい状態だったかを書かなければわかってもらえないだろう。
途中
投稿者:
根石吉久
投稿日:2003年 4月 7日(月)03時20分29秒
その松の姿のみょうちくりんな形を大事に思うなら思うでいいから、大家は自分の責任で自分で全部管理するがいいのだ。庭師に大金を払ってでも、自分で管理するのが当然だ。それが、マニアというものである。
そんなみょうちくりんな形のどこに価値があるのかは、木をこんなみょうちくりんな形にした者にしかわからないのであるが、おそらく大家の意見を取り入れて、どこかの三流庭師がやらかしたものに違いない。実際の木の姿は、一流、二流、三流の埒外のものだ。。四流以下、どのあたりでブレーキがかかるのか知らないが、一桁違うあたりにならないとブレーキは効かないだろう。
ようやくいやらしい手が切除されて、二流か三流くらいの仲間入りができる程度にはなった。
あれは、途中で相当放置した木だ。放置したから、枝の太いところで切らなくてはならなくなり、全体としてすっきりまっすぐ系の木になってしまったのだろう。
それでもしかし、再度、お前の口出しすべきことじゃないと言われればその通りだし、口出しも手出しもできるものではない。それは松本さんにとってもその通りだろう。だから、こんなちんけな松の木は、大家は最初から自分で管理するしかないしろものなのだ。それなのに、このごうつくばりの大家は、松本さんが家を借りて以後、庭の手入れをすべて松本さんにやらせてきたのである。庭師を入れるなどの金は、ビタ一文も使っていない。松本さんが、庭師に二万近い金を払ったことは一度ある。
しろうとに日本庭園(のつもりの庭)を手入れさせて、雑巾を20センチも擦ればまっくろになって洗わなくてはならないような荒れ果てた家に、最初5万という金をとって貸したのだ。雨漏りがし、すきま風がすうすうする家である。雨が降れば、北側の壁全面が濡れて水がじみるような家、しかも更埴市森という交通不便な場所で、月々5万の金をふんだくっていたというから、虫のいいごうつくばりというしかない。
北側の壁に沿った雨漏りは、あんまりひどいので、松本さんは手の入れようがなかったそうだ。南側の玄関にもぼたぼたと雨漏りがするので、松本さんは屋根に登り、瓦三枚が割れているのを発見し、瓦にコーキングして雨漏りを止めたそうだ。
松本さんは、平成10年の7月の終わり頃に入居したそうだが、大家は4月まで人が住んでいた家だと言ったそうだ。掃除しようとして、すぐに雑巾が真っ黒になることから考えて、松本さんは人が長いこと住んでいない家だと判断したという。4月まで「居住」というのは嘘で、家を建て替えるために、一時荷物を入れておくために、人が借りていたことはありうるだろう。それほど荒れ果てた家だったのである。松本さんは、半年くらいづつ借りたという人を二人知っている。調べればわかることだが、多分荷物の置き場に使っていただけなのだろう。
大家は、こんなぼろ家を貸しておいて、修理は全部松本さんの出費でやれと言ったそうである。松本さんは、北側の雨漏りをどうにかするために、大工に頼んで、屋根構造の傷みを調べてもらったそうだ。非常に危ない状態で、屋根が落ちてくることも考えられると大工は言ったそうだ。それほどひどい家なのである。下手をすれば、この家に住むことで死ぬことだって考えられるくらいに傷んだ家なのだ。
松本さんは、まず蜘蛛の巣を払うことから始めたらしい。ゴミはほんの一部を大家が自分で、自転車小屋に出してあったそうである。しかし、片づけなければならないゴミは大家が出したゴミの何倍もあったという。およそ、森くんだりで5万の金を月々とれるような家ではないのである。これに関しては、東京暮らしの長い松本さんは、5万なら安いと思ったという。家賃の感覚に関しての東京者の甘さにごうつくばりは見事につけ入ったのである。
さて、庭の問題に戻る。
庭の植木は、ちょっと手を入れた形跡があったそうだ。敷地を区切るブロック塀に沿って、非常にふるいボクボクした木の枝がうずたかく積まれていたそうだ。大家も家を貸す前に庭の草刈り(草とりではない)をやったそうである。とても草とりのできる状態ではなく、草刈りしかできないほどに庭は草ぼうぼうだったそうだ。60センチからの背の草が一面にびっしり生えていたという。
途中
投稿者:
根石吉久
投稿日:2003年 4月 7日(月)03時19分42秒
その人が、大家の松の枝を二本切った。
そして、100万円近い金額の賠償金を請求されている。
まず最初に端的に言ってしまおう。これはあくまでも私の意見に過ぎないが、松はちんけな松である。五葉松だから、成長が遅いのだという話だが、単に背丈が低いという意味でちんけな松だと言っているのではない。背丈がなかなか伸びないという五葉松に特有の性質を考慮しようがしまいが、ちんけな松であるという印象は私はこの松を最初見たときから持っていた。松本さんちには何度も遊びに行っているので、この松は何度も見ている。ちんけであほくさい松である。
意匠があからさまに見えるいやらしい松の形なのである。なんと言えばいいのか、この松はまっすぐに立っている。幹はまっすぐに立っていて、そこから出ている枝を途中で切り落としてあり、枝先が伸びないようにしてある。枝の相当太いところからぶった切るように切ってある。荒らしておいて、後からぶった切ったのがわかる太さである。だから自然に、この松の全体の姿は比較的すっきりとまっすぐである。私は五葉松の手入れの仕方なんかなんにも知らないのであるが、こういうまっすぐな仕立て方もあるだろう。私の家の窓から見える五葉松も比較的まっすぐに仕立ててある。太い枝を途中からぶった切ってないだけ、隣の家の松は自然でやさしい姿をしている。まあ、しかし、松の姿に関しては、私は無知だ。そして、いくら私が無知であっても、松本さんが借りていた家の庭の松を縁側の方からみたとき、左側の一番下の枝が、まことに変であることは一目でわかった。
左側の一番下の枝だけが、妙に長くて、池の水の上に張り出していたのだった。他の枝は太いところでぶった切ってあるのに、左側の土に近いところの枝だけが変にいじめられて、池の上に張り出しているのである。馬鹿みたいだと思った。
庭木の枝が池の水の上に張り出していることに風情が生じることはよくわかるのだが、この松に関してはとことんおかしな感じがした。全体がぶっきらぼうにまっすぐにすっきりと立っているのに、左の一番下の枝だけが、妙な具合に長く、いやらしく、謹厳実直な紳士が直立不動で、隣の女のスカートの下に手を入れているようないやらしさなのである。この枝一本だけが、木の全体の姿を離れて、馬鹿なボンサイをやっている具合なのだ。要するに、ちんけなのである。
しゃらくさいのである。すっきりまっすぐの仕立てと、池に枝垂れる仕立てとに一本の、五葉松が分裂している。
しゃらくさいとこの松を見るたびに思ったものだった。この松をこのように仕立てた者の性根がしゃらくさいのである。まっすぐに仕立てるなら仕立てるでいい。それならそれで見られるだろう。池に枝垂れるように仕立てるなら仕立てるでいい。それならそれで風情になるだろう。しかし、一本の松にすっきりまっすぐぶっきらぼうに上に伸びさせながら、一番下の枝の一本だけに枝垂れをやらせるのは実に醜い。なあにが、「入船」か。馬鹿らしい。この松は、仕立てる者の性根の貧しさをまず感じさせるものだった。
最初にこの松を見たときに、あの左の下の枝がみっともないと思ったのだが、そんなことは言う必要のないことだからもちろん口に出して言ったことはない。
他の木も芸もなくただつったっているような庭である。五葉松もただつったっている。このつったっている木の縦の線を生かして、すっきりした庭にすればましな庭になるのだが、五葉松の変に伸びすぎた一番下の枝だけが、馬鹿ボンサイ(以下、バカボン)をやっていて、全体をぶちこわしにしていた。やるんなら、どれだけ金がかかるか知らないが、他の木を使って枝垂れにするべきであり、すっきりした松の一本だけの枝にボンサイぶりをやらせるのは、実にけちくさい根性である。チンケであり、人を不安な気持ちにさせるものがあった。私だったら、あんなチンケなものがある庭を見るのはいやだ。庭の方を見るときは、絶対に目をつむる。見たくない。醜いから。
今回、この左の一番下の邪魔な枝がなくなった姿を見たら、全体とのバランスがとれて、実にすっきりしたいい感じになった。右側にミヤコワスレくらいの低い植栽があれば、実にいい。松の全体の姿としての、ぶっきらぼうなまっすぐな線が見事に活きた。
こんなことはしかし、お前の口出しすべきことじゃないと言われればそれまでのものだ。いくら変態的で、おかしな具合のものであっても、この庭の持ち主がそれが好きなら、好きにさせておくしかない。それは大家の勝手な変態趣味に過ぎないから、勝手にやればいい。
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